「パンツを見られる階段」
私は文学部のしかも国文学専攻でありながら「ら抜き言葉」には賛成だ。
タイトルにもある「パンツを見られる階段」を例に考えてみよう。
「見られる」には
〈誰かに目撃される〉という受け身の意味
〈見ることができる〉という可能の意味
という具合に2通りの意味がある。
そこでだ
「パンツを見られる階段」
これだけではパンツを見られてしまう地獄の階段なのか、はたまたパンツを見ることができる楽園なのかがわからない。
言うまでもなく差は歴然だ。
ここで「ら抜き言葉」を適用してみる。
すると
「パンツを見れる階段」
「パンツを見られる階段」
これなら見られてしまうのか見ることができるのかを明確に分けることができる。
「ら抜き言葉は言葉の乱れだ」などと頭ごなしに否定する声も見受けられるが「ら抜き言葉の利便性」についてもう一度考えてみてほしい。
最後にもう一度だけ言わせてもらうが
私はパンツを見れる階段に賛成だ。